死にたいと思ったことはありますか?安楽死は認めるべき?

医学

今回は医者らしく真面目に安楽死について考えます。

最近、ALSの患者に依頼を受けた医師が二人嘱託殺人の疑いで逮捕されましたね。

あなたは先の見えない難病にかかったら安楽死を選びますか?

もしくは大切な家族がそのような状態になったときに安楽死を選びますか?

法律的な問題

安楽死は刑法第202条で嘱託殺人罪となります。

もともと医師、歯科医師以外が治療をした場合は傷害罪が適応されますし、

医師は医師法で患者の委託を受けて治療することが許されていますが、あくまで治療目的であって治療以外の目的では処置をしてはいけません。

ですのでいかなる場合でも嘱託殺人罪が適応されます。

倫理的な問題

ヒポクラテスの誓い

ヒポクラテスの誓いは医学部の行事でたびたび出てくる医師の根元たる誓いです。

ここには医師のなんたるかが記されており、要約すると患者のことを真面目に考え、愛を与えなさい。と書いてあります。

その中には、『依頼されても人を殺す薬を与えない。』とも記されています。

紀元前から嘱託殺人は禁止されています。

ヘルシンキ宣言

これは個人に対する尊重、自己決定権について記されています。

ここでも人の健康を守ことが医師の使命である。医師はこの使命達成のために自分の知識と良心を捧げるべきであると記されています。

法律的にも倫理的にも安楽死は認められていない

現状では安楽死は認められていないのです。

しかし安楽死は認められない一方で、認められてはいないものの自殺は罰せられないのです。

すなわち、自らの意思で自殺できる人は今の日本でも死を選ぶことができてしまうのです。

ここに矛盾が生じます。

同じ死でも扱いが変わるのです。

日本の自殺者数

警察庁のデータでは近年減少傾向にはあるものの令和1年で20,169人が自殺しています。

動機としては健康問題が一番多く9,861人、次いで経済・生活問題、家庭問題となっていきます。

詳しくはこちらをご覧ください。

https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/R02/R01_jisatuno_joukyou.pdf

自殺する人も嘱託殺人を依頼する人も辛さは同じはず

健康問題が自殺で一番多いということは医師として辛いことです。

治療の甲斐なく、自ら命を捨ててしまうわけですから。

嘱託殺人は許される行為ではありませんが、ただ、これを否定するだけでは世の中は改善されないと思います。

生きる権利と死ぬ権利

ここでは生きる権利というのは死ぬ権利があるから輝くのだということを考えます。

どんなことでもそうですが、相対する選択肢があるからこそ魅力的になるのです。

勉強しろしろ言われてもやりたくなくなるように、です。

近年では医学の発展により、治療が発達したため、植物状態でただ延命されているということに対する問題提起がされるようになりました。

そして現在までアメリカやスイス、コロンビア、ベルギー、オランダなどで制度としては無いものの、黙認されるケースが出てきています。(もちろん有罪になることもあります。)

ただ、やはり死ぬ権利というのをどんなに厳しい条件でも構わないので、『認める』方法があるのと無いのでは死にたいと思った人の気持ちが全然違うと思うのです。

そうすれば、死にたいと思った時に楽に死ねる可能性があるならその制度に頼ろうとする人が一定数いると思うのです。

その中で、今の医学でなんとか救える人がいるはずです。

無理な人にも専門のカウンセラーなどを配置することができるでしょう。

その中でも無理な人には安楽死(尊厳死)を認めるという流れが良いのでは無いでしょうか。

少なくとも、患者と医師のみなど少人数で決めていいことでは無いことは確かです。

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